阪神淡路大震災

1月17日。関西の人には、忘れられない日。あれから29回目の1月17日は、私にとっても忘れられない日となりました。

1995年1月17日

関西の人なら誰でもピンとくる、阪神淡路大震災があった日。

当時小学6年生だった私。
身内も知り合いも亡くした人はいないけど、

  • 毎日ポリタンクを持って給水車に並んだこと
  • 翌朝近所のスーパーに3時間並んだこと
  • 入学した近所の中学校のグランドいっぱいに仮設住宅があったこと

など、どれも今でも鮮明に思い出せます。


今年29回目を迎えた、神戸市中央区東遊園地での「阪神・淡路大震災1.17のつどい」

夕方の黙祷は子供の習い事の送迎もあり、家でテレビ越しになりましたが、その後蝋燭を灯しには行けました。
今年は能登半島地震のことがあったからか、例年より多くの方々が来場されていました。

そこでの募金が一部能登半島地震の募金になると聞いて、私達も微力ながら協力させていただきました。

普段募金箱を見てもあまり反応しない我が子達だけど、一番南側の募金箱前で子どもたちが
「募金お願いします!!募金お願いします!!」と大きな声で言ってるのをみて、
「あの箱に入れよう!」と握っていた小銭を募金箱へ入れていました。

次女が、「私も声出ししたい!」って募金活動側に参加しようとしたがってました!
ボランティア活動に興味があるなんて、意外すぎて私がびっくり!

子どもたちの小遣いからやから数百円ずつやけど…少しでも震災復興の足しになれば幸いです。

きっかけ

実は我が家は震災後20年のときから、時々1.17のつどいには参加していました。
ただ、今年は行くの諦めてたんです。
次女の習い事の送迎もあったので。
TVで黙祷だけさせてもらおう、と思ってたんです。

たまたま長女がつどい前日の夜に「明日蝋燭いこっかな…」と電車の時間を調べていたので、急に行く気になった理由を聞いてみたら

娘「私と理由は違うけど、近しい身内を急に亡くした人の気持はわかると思うから…」

思いがけない理由に、私は「あ、そっか…」としか返事ができませんでした。
正直、その想い?考え?にびっくりしてしまいました。
(てっきり石川県には何度か学校や家族旅行で行ったことがあるから、その思い入れで行きたくなったのかな?と思ってた)


確かに、震災に遭った人たちの中には「近しい身内を急に亡くした人」がたくさんいました…。
うちの主人は病死だから、本人の身体に原因ありきだったし、自然の猛威のせいでは全然ないのだけど…
娘は、他人事とは思えなかったんやね…。


普段スマホばっかみて、「宿題してるのか?卒制、おわるのか?」と思うくらい、家ではダラダラしてるところしか見ない長女。
でも、主人の死から、そんな考えを持てるようになってたんやね…。
いつまでも、子供やと思ってたけど、そんなこと全然ないね。


せっかくの長女の想いもあり、次女の習い事終わりに、3人でつどいに参加させてもらいました。


親ばかですが、旦那おらんなったけど、母は飲んでばっかですけど、娘たちはちゃんと成長してる…!
そんな気づきをもらったつどいでした。

前へ


灯籠に書かれた色んな文字、ぐるりと回って見させていただきました。

平和、愛、希望…未来を夢み…。
6年前に長女が合唱団で歌った「しあわせはこべるように」の歌詞を書いてる方もいらっしゃいました。

色々ある中で、私に心にささったのは言葉は「前へ

主人が他界してから約一年。
店を、会社を、子どもたちとの生活をなんとかしなきゃ、と「とにかく、一歩でも、少しでも、前へ」と思って、子どもたちとがむしゃらに日々を過ごしてきました。

今回震災に遭われた方々も、どうにか、諦めずに、前を向いて日々を過ごしてほしいな…。


私が阪神大震災にあったときは自分が子供だったので、大人になってからの災害の大変さはわかってないかもしれませんが、一日でも早く「当たり前の日々」を取り戻せるよう、遠くから心よりお祈り申し上げます。


神戸の整理収納アドバイザー 中村さつき

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